木村さんは青森県のお生まれですね。富山で就農されるまでの経緯をお聞かせください。 |
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高校は青森の農業高校です。3年生の時に自分たちでつくった米を炊いて食べて、おいしさに感動しました。その後、秋田県立大学の短大部に進学して、農業土木について勉強しました。卒業研究で、稲を育てながら田んぼの機能を多面的に調べたのですが、生長する稲を見ていて、米づくりに感動したのです。稲は日本の風土に合っていて、自然を守るとともに、私たちにおいしいごはんを提供してくれています。 |
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まずそこで就農を意識されたわけですね。 |
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就農以外は考えられませんでした。 |
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ご両親は農業とは……? |
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非農家で、かかわりありません。 |
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青森でも米づくりはやっているでしょうから、青森での就農の道があったのでは……。 |
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やってはいますが、盛んではありません。それでまずは、東北一帯で就農先を探しました。その年は、野菜での求人はありましたが稲作ではありませんでした。その後で、新潟、富山へと探す範囲を広げたら、小原営農センターがあったわけです。両親に「富山で農業やる」といいましたら、僕は3人兄弟の末っ子というのもあり、すぐに認めてくれました。 |
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センターではどんな担当を? |
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米づくりに関しては、全員できるようにという方針なので、先輩の指導の下、初年度から任されました。野菜に関しては、大豆以外で28種類つくっていて、その中から自分で担当したいものに手を挙げて、認められたら栽培計画を立てて取り組みます。 |
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栽培に何か工夫は? |
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米も野菜もすべて有機栽培です。野菜については、害虫や病気を防ぐために輪作は徹底していますし、肥料も堆肥からつくる。作付の順番と肥料のやり方で病気や害虫は相当防げます。 |
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それでも例えば、ブロッコリーには青虫はつくでしょう。 |
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そういう場合、可能な限り基本的には手でとります。ひどい時は目をつぶって……。 |
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寛大な心をもって、食べさせてあげる。 |
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はは……(笑)。そうです。 |
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大豆はどのようにして販売しているのですか? |
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自社で豆腐や納豆などの加工品にしますが、収穫量が多い時は、大豆の状態で一部農協へ出荷する時もあります。 |
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米の販売は? |
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会員制で、有機栽培の米や野菜を販売している企業があります。そこにほぼ全量卸しています。 |
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もうすぐセンターに入って8年になりますが、感想は? |
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最近、やっと楽しいと思うようになりました。最初のうちは作業そのものがたいへんでした。高校や短大での稲作は、授業の一環でやる程度ですから、面積的に広くありません。それに対してここでは、担当する田んぼの面積は広いし、野菜も担当する。計画通りに収穫できるかと、ずーっと緊張して、楽しむ余裕はありませんでした。 |
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野菜づくりでは、先輩の指導があるのではないのですか。 |
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こちらから確認したら指導はありますが、基本は各自で栽培計画を立て、作業を進めていきます。潅水とか施肥に問題があって収穫に影響を及ぼした場合は、会社に迷惑をかけることになるので、気が抜けませんでした。 |
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そうすると休日がないのでは? |
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会社としてはあります。ローテーションが組まれて、勤務時間も決まっています。そこは普通の企業と同じです。でも気になって、休日も田んぼや畑を回ったことがあります。 |
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将来独立する可能性はあります? |
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今のところまだ具体的に考えてはいませんが、可能性としてはあります。 |
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先輩からのアドバイスで印象に残っていることはあります? |
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最初の年に、「動かすという点だけでいえば、農機具は中学生にでも操作できる。でもそれは機械の性能に頼ったもので、実際の作業では自分の感覚で機械を動かせ」といわれました。それは例えば、深い田んぼにはまりそうになったら、単にエンジンふかして無理やり抜けようとするのではなく、体に伝わる機械の負荷を感じながら無理させずに抜けていけ、ということです。そしてその前に、そもそも深いところにはまらないよう機械の様子を感じながら操作しろ、ということです。それが肌感覚でわかってきたのは、後輩の指導にあたるようになった最近のことです。 |
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■現在の経営状況 (小原営農センター)
水稲(米) 30ha
大豆 13ha(受委託含む)
野菜(28種類) 3ha
他に農産加工品 |